石田・増田(ました)・長束(なつか)・前田は、豊臣秀吉政権下の五奉行のなかの四人。本状は、秀吉の命令により、四奉行が伝達した文書で、伏見に来た異国人の接待のため、おとなしい馬を準備して、落馬などの事故がないように、と指示している。折紙(おりがみ)(1枚の紙を上下で折り返したもの)であった形態を、掛軸に仕立てる時、いったん真中で切断して上下を読みやすいようにして貼りなおしてある。三溪園内の、大阪から移築した臨春閣という建物は、当時、聚楽第遺構といわれていたため、三溪は秀吉関連の調度を設えた。大正6年(1917)頃に秀吉関係史料を集中して購入している。