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「子六月四日」から慶長一七年(一六一二)六月四日の書状とわかる。肥後加藤家に仕える十時成重が、奥州南郷(棚倉)領主となった宗茂のもとへ転仕したいと希望するも、加藤忠広の家督相続という大事な時期であることから、転仕願いは当分は控えよと述べる。また、事前に転仕の「内意」を伝えず「おしかけ」て奥州南郷に来ても召し抱えないと注告している。前年の清正の死を機に、立花家旧臣には加藤家を辞して宗茂に仕えようとする動きがあったようである。
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