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天正7年(1579)原田氏と戦った生松原合戦における鎮久の勲功を賞したもの。文中の同名弾介は別系米多比氏と考えられ、その一族は大内氏や宗像氏に与同するものが多かったが、鎮久とともに行動していることが確認できる。道雪も恩賞を約束しているが、彼らの働きは豊後大友氏に言上されることになっていることから、この段階で米多比氏は与力であったと言える。
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