朝鮮出兵の折、肥前名護屋の営中より正妻・おね(北政所)に与えた秀吉の自筆書状である。五月六日の日付は、文禄元年(一五九二)と推定される。秀吉一流のかな書きで、文意はおねより五月の節供の祝として贈られた衣服に対する礼と、戦況の報告である。
この書状の書かれた時は初戦に勝利を続けていたころで、四ヶ月先の九月九日の重陽の節供の贈物は中国で受け取ると豪語し、自らの勝利を確信していた様子が窺われる。長文の追而書の中では再度礼を述べ、火の用心を申し付けるなど、秀吉の細やかな心配りも遺憾なく発揮されている。
(本文)
せつくのかたひら いろゝゝ
とりそろへ給候 めてたく
ゆく久しくとゆわい候て
めし候まゝ 御心やすく候へく候
九月のせつくハからにて
うけとり可申と存候 はやゝゝ
こうらいしろゝゝおゝくとり
申あいた こうらいのミやこゑハ
この方よりとり候 ふねつき
よりハ甘り御さ候よし申候
はやゝゝこうらいのミやこ お
さいて人数つかハせ候間 や
かてミやこおもとり可申候 御心
やすく候へく候 ふねおそろへ
申候て やかてあとの人数お
もこさせ可申候 からおも
とり可申候間 そもしのむかいお
めてたく可進之候
かしこ
五月六日
なこやより
おねに返事 大かう
(追而書)
かへすゝゝゝいろゝゝ
とりそろへ給候
おうれしく候
又そてなしとうふくむやうにて候
そてなしハ くそくのときはかりよく
候 いり不申候 大さかのひのようしん
申つけ候へく候 かならすゝゝゝゝ
こうらいのミやことり候て
やかてゝゝゝ大かうさまも御さ候んと
おほしめし候