1979年と1980年に北京で開かれた「星星美術展」は、わずか二度の開催にも関わらず、中国現代美術史の転換点となった。つまり、ただ一つの太陽としての毛沢東とその思想や政策に沿う主題を制作することから、星の数だけ多様な主題をいろいろなスタイルで表現することへの道が開かれたのである。ワン・クーピンは、この展覧会を主催した星星画会の中でも最も反体制的なメンバーで、木材の形からイメージを膨らませて、素朴ながらも社会の現状を痛烈に風刺した作品を制作した。この作品は、頭上に手をはやすように木を彫ることで、『毛沢東語録』を高く振りかざしながら「毛沢東万歳」を叫ぶ狂信的な人間像とその時代性を表わしている。しかしそのイメージは、体制への批判であるだけでなく、紅衛兵の経験をもつ作者の自己批判でもあった。1979年の「第1回星星美術展」に出された記念碑的作品。