光琳50歳代の画風大成期に、伝宗達筆の同図を模写したもの。その瀟洒な作風に、宗達との資質の違いを窺わせる。
俵屋宗達筆と伝えられる同図(山種美術館)を模写したもの。制作にあたり、向かって右端の幹の曲率を変更したり、葉の密度を整理したり、秋草を省略したりといった改変を行っているが、それによって現れる表現の差異に、重厚な宗達に対し瀟洒な光琳という資質の違いをみてとることが可能である。「法橋光琳」と署名し、「方祝」の朱文円印を捺す。山根有三氏によるなら、光琳が方祝と号したのは、宝永(1704-11)末年から正徳(1711-16)初年のことで、そこから光琳50代の画風大成期に模写されたものと判る。光琳は本図とほぼ同じ時期に、宗達の《風神雷神図屏風》(建仁寺)の模写も行っている。すでに《燕子花図屏風》(根津美術館)などで、輪郭線を用いない没骨法によって草花を描く、琳派的な手法をものにしていた光琳であったが、晩年のこの時期に琳派の祖である宗達の画を改めて学ぼうとしていたことが知れる。(執筆者:野口玲一 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)