今から八百年ほど前の平安時代末期、京で源氏同士が戦っている間に勢いを盛り返した平家は、旧里・福原に戻り、生田の森と一の谷(ともに、現在の神戸市)に戦の陣地を張りました。
しかし、源氏軍の源義経と源範頼は、すぐさま平家を倒すために兵を率いて出発し、義経軍は北側の一の谷から、範頼軍は東側の生田の森から攻め入りました。
源平両軍入り乱れての激戦が繰り広げられ、一進一退の攻防が続く中、一の谷の裏手、人や馬が駆け降りることのできない断崖絶壁の鵯越に立った義経は、今 が戦機と見て「鹿が降りられるところを馬が降りられないはずはない 自分を手本にせよ」と先頭をきって一気に急な坂を駆け降り攻め入りました。義経の奇襲 戦法を期に形勢は一気に源氏軍に傾き、浮き足だった平家軍はわれ先に海上へ逃れ、源氏軍が勝利を果たしました。
戦略的に優れた武将であった源義経は、平家滅亡の大きな功労者となり、国民的英雄となりました。