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斎藤与里1915

埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館
さいたま市浦和区, 日本

京都に出て浅井忠、鹿子木孟郎に学び、1906年に渡。帰国後は、西欧の印象派以後の新思潮を日本の画壇に紹介する。12年<フュウザン会>を結成。24年に大阪美術学校を創設。同年〈槐樹社〉を結成し、雑誌『美術新論』の主幹をつとめた。美術評論家としても活躍した。

フランスの印象派以降の新たな動向に共感を抱いて帰国した斎藤は、画家の主観を重視する個性の芸術を主張し、日本洋画壇における革新の騎手と注目されました。1915年の文展に初出品されたこの作品は、翌年特選となった《収穫》とともに彼の大正期を代表する作品です。当時の文展の主流であった写実的な作風からすれば、主観性を強く打ち出した点で革新的な作品であり、随所にフランス滞在中に研究したゴーギャンピュヴィ・ド・シャヴァンヌの影響がみられます。抑制された渋い色調、憂いを秘めた裸婦の表情、西洋とも東洋ともつかない非現実的な風景と人物との組み合わせが、画面に不思議な詩情を漂わせています。

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