南朝の雄・北畠親房は、 後醍醐天皇を擁して「天皇親政」を目指すが、 その子顕家・顕信らは北朝との戦いに敗れ、 北畠一族は全国に四散する。
やがて南北朝の動乱を生き延びてきた一族の末裔は、新天地・浪岡に辿り着くことになる。 浪岡は、東に八甲田、西に岩木の霊峰を望み、地には梵珠山のブナの森にはぐくまれた聖水が湧き出る土地柄であった。
栄枯盛衰の中世にあって、名門としての気概を失わず、新たな土地に領民と一族の繁栄を祈願して、浪岡城を築城することとなる。 多くの謎とロマンに満ち溢れた浪岡北畠氏。 まさに、顕家から四代目・北畠顕義の時である。
『北畠顕義が浪岡城主初代として、梵珠山の神々に世の繁栄と安寧を願い、 さらに一族の再起を期する姿、そのものです。』
龍は、北畠氏の守本尊とつたえられている龍負観音を象徴し、 中世の人々の心のよりどころとなった念仏信仰を上人の姿で表現した。 また、梵珠山は古代から聖山としてあがめられてきた。
ときおりしも、新青森市となった浪岡町。浪岡北畠氏は、新青森市のさらなる発展をねがっていま新たな歴史の舞台におどりでることになったのである。