天正16年(1588)、豊臣秀吉が聚楽第(じゅらくだい)に後陽成(ごようぜい)天皇を招いた、有名な聚楽行幸(ぎょうこう)の一情景と伝える。舞台上の演目は翁(おきな)。右奥の御簾(みす)の中に後陽成帝、手前の広縁には秀吉とおぼしき人物が描かれている。近年の研究により、これは秀吉が宮中で催した天覧能の場面であると比定された。観客には南蛮人の一行もまじり、重たげに煙管(きせる)を吸う従者の姿が目をひく。近世初期風俗画にしばしば登場する≪珍奇な風俗≫としての「散策する南蛮人」のモチーフであろう。
歌舞伎図の流行に対し、能をテーマにした風俗画は意外と少なく、秀吉の能愛好に仮託した本図は貴重。左方に見える北野社は慶長12年(1607)豊臣秀頼による復興後の社景を示しており、全体が豊臣家ゆかりの画題ともいえる。当然、制作年代もそれ以降となる。