その名のごとく、比較的大きな勾玉の背・腹・両側面に、複数の小さな勾玉や突起を削り出して形作ったもの。 5世紀中頃~7世紀頃まで製作され、東北地方から九州、さらに朝鮮半島南部まで分布する。いずれも滑石という軟らかい石で作られている。独特な形 状から、遡源や性格については諸説あるが、増殖などに関する呪術的な祭具と考えられている。沖ノ島祭祀では長期にわたって奉献されており、21号遺跡の出土品(5世紀)が最も古く、続いて4号・8号遺跡の出土品 (5~6世紀)があり、最後の1号遺跡出土品(8世紀)は子持勾玉全般からみた終末例とされている。ヤマト王権の祭祀を構成する上で重要な意味を発揮したと考えられよう。