17歳の1904年に結核を患った中村彝(1887-1924)は、1906年白馬会洋画研究所に入り、以後病と闘いながらレンブラントやルノワール、セザンヌなどを研究し、自分なりの個性的な表現を追求しました。この作品のモデルは、新宿中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻の長女、俊子です。1911年末から中村屋裏のアトリエに住んでいた彝は、1913年頃から女子聖学院の生徒だった俊子を集中的に描いています。若く健康的な身体の描法にはルノワールの影響が見られますが、唇を結び聡明な眼差しを画家に向ける表情や、生気あふれる頬の赤色などは、彝独自の表現となっています。