中村不折(1866-1943)は江戸に生まれ、母の郷里長野で少年時代をおくる。洋画を学ぶため上京し、不同社で小山正太郎、浅井忠らに師事した。1901(明治34)年に渡欧し、フランスではじめラファエル・コランに学ぶ。その後鹿子木孟郎の紹介でアカデミー・ジュリアンに入学し、ジャン=ポール・ローランスに師事した。帰国後は太平洋画会で活躍し、文展審査員にもなった。森鷗外の著書『人の一生・飛行機』の装幀を手がけ、鷗外の墓碑銘「森林太郎之墓」を揮毫している。
本作品は、フランス留学中、ローランスの教えるアカデミー・ジュリアンで描かれた油彩による裸体習作と思われる。同じモデルを描いた作品が、何点か残されている。背景はほとんど描かず、しゃがんで椅子に腕をかけた男性の人体の表現に意識を集中している。ローランスは当初、不折にモデルの手足を木炭で素描することからはじめるよう命じたといわれるが、本作品のモデルの手の表現には、そのデッサンの練習の成果が見てとれる。