東京美術学校で藤島武二に学び、卓越したデッサン力による人物画を数多く描く。1934年浦和にアトリエを構えた頃から裸婦を主要なモチーフとし、「裸婦の寺内」と評される。埼玉県の美術の発展や後進の育成に尽力した功績は大きい。
「ユトリロが終生パリの壁に愛着を持ったように、ボクは終生日本人の裸婦に愛着を持つ」と語った寺内は、アトリエでの制作に徹していき、様々なポーズの裸婦作品を描いています。この作品は横向きに座ったモデルが、振り向き様にみせた一瞬の表情をとらえたものです。光を受けて輝く裸婦の背中を色彩の微妙な調子で見せながら、あくまでも暖かく伸びやかに描いています。寺内は、コローのいぶし銀のような色彩表現や、ドランの簡素で量感あふれる人物表現に強く惹かれていました。そういった表現を吸収しながら、すぐれたデッサン力で、小麦色に輝く裸婦を追求し、「当たり前で奥深いもの」を目指して、底光りのする独自の表現を完成させたのです。