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大賀宗九居士神儀肖像

不詳 賛者:江雲宗龍Edo Period(17th century)

福岡市博物館

福岡市博物館
福岡市, 日本

大賀宗九(1561~1630)は、江戸時代初期の博多の商人で、同時代の商人嶋井宗室(しまいそうしつ)、神屋宗湛(かみやそうたん)とともに博多三傑と称される。『石城志(せきじょうし)』によると、大賀氏は戦国時代、豊前(ぶぜん)(現大分県)の領主大友氏(おおどもし)に仕える武士で、大友氏没落の後、宗九は商人の道を歩み、姓も大神と称していたのを、大賀に改姓したという。その後中津(なかつ)を治めていた黒田氏が慶長(けいちょう)5(1600)年関ヶ原(せきがはら)の合戦の後に筑前(ちくぜん)へ転封(てんぽう)になると、黒田長政(くろだながまさ)の要請で筑前に移り住み、博多呉服町(はかたごふくまち)(現福岡市博多区)に居を構えた。慶長12(1907)年にシャム行きの渡航朱印状(とこうしゅいんじょう)を得、長崎に貿易取引の拠点となる出店を設け、福岡藩の御用商人として、朱印船などの海外貿易を主として活躍した。また、元和(げんな)4(1617)年には藩政に尽力している功で164石を賜った。この後、大賀氏は3代藩主光之(みつゆき)の時代にかけて長崎警備で活躍し、その後も博多商人の中心的役割を担った。大賀宗九は寛永(かんえい)7(1630)年に没し、天目山幻住庵(てんもくざんげんじゅうあん)(現福岡市博多区)に葬られる。なお、この画像の賛は崇福寺(そうふくじ)80世の住職江雲宗龍(こううんそうりゅう)によるものである。
【ID Number1995P02132】参考文献:『福岡市博物館名品図録』

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  • タイトル: 大賀宗九居士神儀肖像
  • 作成者: 不詳 賛者:江雲宗龍
  • 日付: Edo Period(17th century)
  • 実際のサイズ: w42.4 x h101.3 cm
  • タイプ: 絵画
  • 外部リンク: http://museum.city.fukuoka.jp/
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