鈴木松年、竹内栖鳳に師事。京都市立絵画専門学校卒業。文展に出品していたが審査に不満をいだき、村上華岳らと1918年〈国画創作協会〉を結成。近代的な感性をふまえた新たな日本画創作に向け、強力な運動を展開した。28年同協会日本画部解散後、帝展に復帰、帝国美術院会員となる。
夏の日盛りに実をつけた真桑瓜がそのまま写されているようにみえますが、曲がりながら伸びたつると大小の葉や瓜の実は、横長の空間に生動感をもって緊密に構成されています。細くしなやかな描線と、さえざえとした淡い緑色の色調が繊細で新鮮な感銘を与えてくれます。この作品は麦僊44歳の時の制作で、西洋絵画への親近を経て、中国宋時代の宮廷画院の作風に通ずる東洋的絵画へ回帰した時期の作品です。彼は「自然を凝視すればする程、形その他の諸相をはなれて不思議な霊感に打たれる」、「ただ精神を深くする事、自然の霊感を体得する事」と言っています。対象を鋭く観察し、写実を深化させ、自己の内面の美に集中することによって、この作品のようなこの世のものならぬ美が創造できたのです。