慶長二年(一五九七年)津軽為信率いる軍勢が浅瀬石城(黒石市浅瀬石)に攻め入った。 城主千徳氏の苦境を知った神宗寺の常縁和尚は自ら山伏姿となり応戦したが、ついに捕らわれそうになり、本尊を背に浅瀬石川の濁流に身を投じたのであった。
後にこの川原に常縁和尚は手厚く葬られ、その一帯は「常縁川原」と呼ばれるようになった。 村人たちはここに集まり、供養をしながら千徳氏の悲運を嘆き、常縁の名を借りて即興の唄をうたい踊りを踊った。
常縁川原という名は、いつのまにか「上川原」と変わり、さらに「じょんから」と呼ばれるようになった。 そして現在に伝わる「津軽じょんから節」こそこの時の唄であり、“くどき節の発祥”と言われている。