人目に触れない五重塔の内部にも極彩色の曼荼羅が描かれていた。曼荼羅で荘厳することで、塔は小宇宙そのものとなる。
醍醐寺五重塔は朱雀天皇の御願により建立され、天暦5年(951)に竣工した。その初層内部の心柱覆板・四天柱・連子窓羽目板には、金胎両部曼荼羅が描かれ、腰羽目板には真言八祖像、扉には護世八方天が描かれていた。塔の8面の連子窓は、内側から羽目板で塞がれており、本図はその西側北面の羽目板の一部である。そこには胎蔵界外金剛部院西方諸尊の10尊が描かれていたが、そのうちの2枚4尊分が本学の所蔵となった。上段の龍冠をつけているのは水天、その隣は毘紐天妃、下段の2尊は鼓天と楽天である。これらは創建当初のままで、補修を受けておらず、そのため剥落もはなはだしいが、下書き線や地塗りが露出し、作画過程をあきらかにするよい資料となっている。また、唐風から和風へと移り変わる平安中期の基準作例として貴重である。(執筆者:高瀬多聞 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)