日本国内における紅花の生産量は、江戸時代に全盛を迎えるが、明治以降は減少の一途にあった。ほどなくして中国から紅花を輸入するようになり、昭和初期にもなると中国産紅花を原料に紅作りを行うことが少なくなかった。そうした時勢の中、1937年7月の盧溝橋事件を端に日中間の戦闘、いわゆる支那事変に突入する。これによって中国からの紅花の輸入が途絶え、かつ国内の紅花の産出量も振るわないという状況に陥り、原料高騰は免れ得ない事態となった。御用紅も「従来の値段ニテハ納入致シ難ク」なり、やむなく価格改定をする運びとなった。本資料は、100g7円75銭で納入していた紅を8円50銭に変更する旨を記し、了承を請うた御願書の下書きである。