本資料は、京都の紅屋「紅清」が所有していた紅の製造工程図。花搗きに始まり、花揉み、紅搾り、灰汁(アルカリ液)作りや烏梅から酸液を作る工程など、その手順に大きな変化はないが、作業員たちの服装や髪形、また使用する道具に変化が見られる。おそらく本図は、江戸末期から明治初期にかけての紅場と、明治中期以降の近代化が進み一部が機械化された紅場の風景を記録した、新旧図のようなものだろう。あるいは、紅屋が衰退の一途にあるなか、紅の製造手順を残すために制作されたものか。
紅清は昭和14年(1939)に廃業するが、紅清より伊勢半六代目当主亀之助が本図を譲り受けた。