江戸時代前期の文化人・松花堂昭乗(1582〜1639)が描いた白梅の枝の絵に、大徳寺153世住持・澤庵宗彭(1573〜1646)が和歌を、大徳寺157世住持・江月宗玩(1574〜1643)が漢詩を添える。沢庵の和歌は「梅の花 匂ふ野辺にて 今日暮れぬ 宿のこすじを 眺むらん」、江月宗玩の漢詩は「破暁湖山入 昼時短篷揺 雪傍疎籬一 心只梅花 上凍損吟身 也不知」。新春に集った3文人による即興の作であろうか。
初代柳川藩主・宗成は大徳寺との関わりが深く、その縁から本作品が立花家に伝来したと考えられる。