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フランドルの出身で、イギリス国王チャールズ1世の首席宮廷画家として知られるヴァン・ダイクは、ルーベンスの工房で修業を積み、10代後半の若さで工房の筆頭助手を務めたといわれる。20歳になってまもない1620年に初めてイギリスに渡り、その後6年間イタリアに滞在したのち、1627年にアントウェルペンに帰ってくるが、1632年に再びイギリスを訪れると、そこで約10年間制作を続け、そのまま故郷に戻ることなく42歳で早世した。
肖像画家としてのヴァン・ダイクの才能は初期のアントウェルペン時代から開花していたが、晩年のイギリス時代になると、その様式はいっそう洗練の度を加え、多彩な人物の容貌と個性が、高雅で繊細な美しさをたたえた流麗な筆で見事に描きわけられている。彼の高度に完成された王侯貴族の肖像は、以後のヨーロッパ絵画における肖像画様式の手本の役割をも果たしたのである。
モデルのアン・カー(1615ー1684)は、サマセット伯ロバート・カーとその妻フランセスの娘として生まれ、1637年にベッドフォード伯と結婚、7人の息子と3人の娘を産んだ。母のフランセスは殺人罪で死刑を宣告されていたが、後に恩赦の身となった人物で、アンはその服役中にロンドン塔で生まれたのであった。アンが自分の母親に関するスキャンダルを知ったのは結婚のあとで、真実を聞かされたとき、ひどく動揺し気を失って卒倒したと伝えられている。しかしながら二人の結婚生活は順調で、夫の父の死後、彼の遺志を継ぎ夫妻で沼沢地の干拓事業に情熱を傾けた。
さて本作と同じモデルの肖像画が他に3点知られている。1点はベッドフォード伯の邸宅であったウォーバーン・アビー公爵家に今も伝わる全身像、あとの2点は本作とよく似た構図の七分身像(ペットワース・ハウス蔵およびアメリカ個人蔵)で、後者はいずれも本作に基づく第2バージョンと見なされているものである。
20代なかば、結婚して2〜3年経った頃であろうか、上品にカールした金髪のヘアスタイルに張りのある白い肌が印象的な、若々しい美貌の英国貴婦人が黒褐色の背景から浮かび上がる。着衣と宝飾品、肌や髪など質感の表現には熟練の技術があり、目もとや口もと、組んだ手の指先ひとつにもヴァン・ダイク調の高貴な表情が宿っている。肖像画の世界に他の追随を許さぬ表現を確立したヴァン・ダイク様式の一つの典型をここに見ることができる。

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