田中保は、18歳でアメリカに渡った。その 理由は、家業の没落であり、おのれの行く 先をみずから切り開くため であった。独学で絵画をはじめる。1912年頃から居住地シアト ルで作品の発表をはじめ、次第に実力が認められていった。1920年、シアトルで画家とし ての地位を確立した田中は、いっそうの飛躍を願いパリに拠点を移す。パリに移ったその年すぐに田中は美術団体の公募展であるサロンに出品し、以後も可能な限り様々なサロンに出品しつづけた。サロンで認められた田中は藤田嗣治と並ぶ高い名声を得たが、生前一度も帰国せず、他の日本人画家とも交流があまりなかったため、近年まで日本で紹介され ることもなく、死後久しく忘れられていた。
ソリタ・ソラノ(1888-1975)は、アメリカ人の文筆家である。田中はパリでエズラ・バウンドやジェイムズ・ジョイスら英米の文学者と親しく交流した。ソラノもまた彼らを介 して田中と知り会ったのだろう。重さを感じさせない平面的なからだの描写に田中らしさ があらわれているこの作品は、1927年のサロン・ナショナルに出品された。
(出典: 『名古屋市美術館コレクション選』1998年、P. 41.)