下剋上(げこくじょう)の世をかけ抜けた最後の英雄・豊臣秀吉(1536~1598)は、その死後、ついに神にまで出世した。京都の東山七条には、秀吉の霊廟(れいびょう)と彼を祭るための豊国社が造営され、正一位豊国大明神の尊号が贈られたのである。�
淡墨で描かれた桐図をバックに神殿ふう建築の中に坐すこの画像も、単なる肖像画ではなく、秀吉を豊国大明神という礼拝の対象としてとらえている。�
秀吉の画像は、徳川氏による豊臣家壊滅(1615年)までの短期間に、数多く描かれた。その多くは狩野光信とその周辺の狩野派によるものだが、本図や藤田美術館本のように、顔貌をやや理想化した別系統の遺品もいくつか存在している。