王心渠(1594~1678)は、福建省福州府生まれの貿易商で、長崎の在留唐人。福州出身者のために創建された崇福寺の大檀越(スポンサー)として、隠元や即非を住職に迎え、初期黄檗宗の長崎定着を支援した。喜多元規(生没年不詳)は、長兵衛のあとを受けて黄檗僧の肖像画制作にたずさわった。現在までに200点ほどが確認されているが、本図は元規に数少ない俗人の肖像画である。
眉や鬚にみられる細くしなやかな線描、顔貌にみられる微妙な陰影法など習熟した技法を動員し、外面のみならず、画主の内面まで描き尽すかのような迫真性を獲得している。左隅に「元規」朱文方印を捺す。賛は、師・即非とともに渡来した中国僧・千ガイ性侒(ガイは「豈」に「犬」、1636~1705)で、即非退隠後の崇福寺住持。