隠元隆琦(いんげんりゅうき)(1592~1673)は、中国福建省出身の禅僧。逸然をはじめ、長崎に住む中国人僧俗の招請に応じ、63歳で来日。のち、諸大名や将軍家、後水尾天皇らの帰依を得て、寛文元年(1661)には、京都・宇治に黄檗山萬福寺を開創した。日本に黄檗禅を広めたばかりでなく、現代中国の最新諸文化を伝えた功績は大きい。
黄檗画像と呼ばれる写実的な肖像画もそのひとつで、濃密な色彩や、迫真的な隈(くま)の使用に生の中国を感じさせる斬新さがある。画中に「長」白文方印を捺す黄檗画像作家・喜多長兵衛の伝記は不明だが、隠元の語録にも登場し、寛文三年(1663)に萬福寺で没した喜多道矩が長兵衛その人であったとする説が有力である。