今戸は隅田川の西岸で、都鳥の名所であった。『江戸名所図会』に、「今戸には、土をこね、瓦造りならべてほしければ やかぬまは露やいとはむ下瓦 杉風」とあるように、瓦焼きは今戸の名物になっていた。� 煙が立ちのぼる窯を中心に、こてを手にする人物と火掻き棒で火を掻く人物が左右に描かれ、後ろを流れる隅田川には、漁をする船や屋形船が見える。遠くに見えるのは浅草寺の門前に通じる大川橋で、銅版画にも本図とほとんど同構図の作品がある。田善(1748~1822年)は本名を永田善吉といい、亜欧堂、田善は号である。田善は文化年間(1804~1818)を中心に活躍したが、人物や風景の描写は江漢より自然で洗練されている。