江戸時代、博多松囃子(はかたまつばやし)は正月十五日に行われていたが、明治5年(1872)の布達で博多祇園山笠とともに禁止されてしまった。明治11(1878)、紀元節(きげんせつ)(2月11日) が制定され、福岡区と博多区の行政区が合併したのを機に「ドンタク」で祝うという名目を立て、福岡・博多の人々は見事に「どんたく」という名で松囃子を復活させた。この資料は、「どんたく」として松囃子が七年ぶりに復活した年である明治12(1879)年の各町の出し物が一覧になった番付である。明治以降、第二次世界大戦中の昭和16(1941)年に中断されるまで、博多どんたくの開催日は、福岡連隊の鎮魂祭(11月21日、22日)、招魂祭(4月30日、5月1日)などと変化した。また、神社の遷宮(せんぐう)などを記念する祭礼にもドンタク隊が参加しており、福岡・博多の人々にとって、「ドンタク」を祝う気持ちを表現する方法の1つだったようだ。敗戦後は、昭和21(1946)年5月25日に奈良屋(ならや)小学校で復興祭が行われ、この時、子ども山笠が博多の町を走り、博多どんたくも復活した。現在のように、「福岡市民の祭り」となったのは昭和37(1962)年のことである。
【ID Number1999B01149】参考文献:『福岡市博物館名品図録』
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