人形劇に集まる人々の風俗を描いた本作は我が国初の本格的な群像表現とされ、義松の滞欧中の代表作として知られている。
五姓田芳柳の次男義松は、横浜でチャールズ・ワーグマンに学び、明治9年(1876) 工部美術学校に入学したが翌年退学、同13年パリに渡り、レオン・ボナ (Léon Bonnat, 1833-1922) に師事する。五姓田も油画研究を目的に留学した最初期の画家である。本作は画面右下などに塗り残しがあり未完であるが、署名と1883年の年記がある。人形劇の舞台が画面奥に画面と平行に置かれ、群像はその前に配される。舞台の前に椅子に腰掛けて観劇する人々の後ろ姿が描かれ、その周囲に老若男女が様々のポーズで表されている。画面右下隅の老婦人と子供のモティーフは、同年のサロン入選作《人形の着物》(個人蔵、高階秀爾編『江戸から明治へ』講談社、1991、図28)と同一のモデルであるとされる。なお下絵が数点、神奈川県立博物館に伝わっている。本作は、明治40年12月12日作者自身から購入された。(執筆者:川口雅子 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)