日本では古来から観音信仰が盛んで、西日本に33、関東に33・秩父に34の霊場があり、合せて百観音霊場と呼んでいる。この絵は、このうち秩父一番札所の四萬部寺(しまんぶじ)(妙音寺(みょうおんじ))を描いた錦絵(にしきえ)である。錦絵とは江戸時代の多色刷り木版画のことをいう。安政5年(1858)午年の札所本尊の総開帳を契機に江戸で作成・販売された。画面上部では奉納額の体裁の中に画家の歌川広重(うたがわひろしげ)が札所寺院の様子を、その下に歌川豊国(うたがわとよくに)が札所寺院にまつわる霊験(れいげん)を描いている。四萬部寺については、寛弘4(1007)年に、書写山(西国27番札所圓教寺(えんきょうじ))の性空上人(しょうくうしょうにん)の弟子・幻通比丘(げんどうびく)が、霊鳥の導きにより当地に赴き、4万部の経典を誦えたことに由来することが絵と文章で紹介されている。当山の山号の読経山、寺号の四萬部寺が、この伝承に基づくことがわかる。版元(はんもと)は、江戸南伝馬町二丁目の山田屋庄次郎(やまだやしょうじろう)。