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斑島渟着到状

差出:源渟(裏花押) 宛所:御奉行所1334

福岡市博物館

福岡市博物館
福岡市, 日本

元弘(げんこう)3(1333)年、鎌倉幕府が滅び、後醍醐(ごだいご)天皇による建武の新政が行われた。しかし、わずか3年で破綻し、これ以降、60年にも及んで日本の各地において南北朝の動乱と呼ばれる戦乱が広がった。九州では最後まで南朝勢力が優勢であり、加えて、幕府内部の対立が直接的に及んだため、幕府方と南朝方との間で激しい戦闘が繰り広げられ、一時は天下三分の様相を呈した。
博多は、蒙古襲来以降、九州の軍事と裁判権を統轄させるため鎌倉幕府の出先機関である鎮西探題(ちんせいたんだい)が設置され、九州の政治的・軍事的中心として重要な地位を占めるようになった。筑前守護少弐貞経(しょうにさだつね)・豊後守護大友貞宗(おおどもさだむね)等は京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)が滅亡したのを知ると、博多の鎮西探題を襲撃し、北条英時(ほうじょうひでとき)を滅ぼした。しかし、翌建武元(1334)年には、北条氏一門の規矩高政(きくたかまさ)・糸田貞義(いとださだよし)が豊前国企救郡(現福岡県北九州市)で蜂起した。下掲の文書は、これを討伐するために出陣した肥前松浦党(ひぜんまつうらとう)の斑島淳(まだらじまとどむ)の着到状(ちゃくとうじょう)である。証判者は確定できないが少弐貞経の花押に類似する。貞経本人か、もしくはその家臣のものであろう。このように、合戦に参加した者は、後日の恩賞給付に備えるため、先ず自軍の軍事指揮者に出頭を確認してもうらうことになっていた。本文書は鎮西探題討滅後の北部九州の政治情勢を知りうる貴重な史料である。
釈文:
上総掃部助高政・左近大夫将監貞義
謀叛之由承候之間、肥前国松浦斑島源
渟馳参、令付于御着到候、以此旨可有御
披露候、恐惶謹言、
建武元年七月十五日 源渟(裏花押)
進上 御奉行所
「承了(花押)」
【ID Number1999B00556】参考文献:『福岡市博物館名品図録』

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  • タイトル: 斑島渟着到状
  • 作成者: 差出:源渟(裏花押) 宛所:御奉行所
  • 日付: 1334
  • 実際のサイズ: w50.2 x h31.3 cm
  • タイプ: 古文書
  • 外部リンク: http://museum.city.fukuoka.jp/
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