1955年吉原治良の誘いにより〈具体美術協会〉に参加。様々な実験的な作品やハプニングなどの活動で注目を集める。58年頃からカンヴァスの上に絵具を流して制作する方法を試みる。66年渡米し、一時滞在の後帰国。単純化されたかたちと明快な色彩によるユーモラスな作風に特徴がある。
《聖火》と題されたこの作品は、第6回現代日本美術展に設けられた東京オリンピックをテーマとした課題招待部門に出品されました。オリンピックの五輪の基調色である青、黄、黒(かわりに濃紺を使用)、緑、赤の絵具を、上方を固定し下方をややたわませたカンヴァスの上から流し、色彩を重ねてゆくという方法で制作されています。そのため偶然的な要素が作用しているのは確かですが、一方で、白い円や逆三角形など、画面の構図は作者によって決定されており、絵具の濃度や流す勢いをコントロールすることで、色の重なり方やにじみ方に様々な変化をつけることができるのです。絵具を流すという斬新な方法で制作されていますが、ダイナミックに燃えさかる炎を目の前にしているような感覚を喚起するイメージ性の強い作品になっています。