1910年代にルドンは聖セバスティアヌス像を油彩、パステル、水彩等の様々な技法によって描いている。聖セバスティアヌスは、伝承によれば3世紀後半にガリア地方のなるナルボンヌに生まれ、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝の親衛隊の士官となった。密かにキリスト教に改宗していることが発覚して、弓矢による死刑が命ぜられた。このとき寡婦イレーネとその侍女とされる聖女たちの手当を受けて回復したが、再び皇帝の異教信仰を非難したため、撲殺され、殉教したという。
ルドンの聖セバスティアヌス像の多くは、周囲に広がる風景にのみこまれてしまいそうに小さく、そこにルドン独自の人間的スケールをはるかに凌駕する神秘的な存在としての自然観が反映されている。また、ルドンが初期から執拗に描き続けてきたモチーフである樹は、人間が分かちがたく自然に根ざした存在であることを示唆する。さらに本作品において赤い矢羽は、足下に描かれた白い花のような形態とあいまって、聖人の体から噴き出した血が花に変容したかに見える。瀕死の聖セバスティアヌスは、樹木に生命を注ぎ込み、朽ちた後に、再びよみがえる存在としての人間の象徴なのであろうか。本作品と構図が似たプーシキン美術館所蔵の神話的な裸婦像(1908)には《再生》という題名が付されている。