江戸時代中頃の享保年間に、現在の埼玉県内の新田開発のために開削された見沼代用水路(みぬまだいようすい)のうち、上瓦葺村(かみかわらぶきむら)(現在の上尾市瓦葺の立合橋付近)で綾瀬川と見沼代用水が交差する地点の様子を描いたもの。この交差地点では、流路の水位が保てない、用水路を使った舟運の妨げになるなどの理由により、交差する川の上に木製の水道橋(懸渡井)を架ける工法が用いられた。享保16年(1731)に閘門式運河(こうもんしきうんが)である見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)が開通したときには、見沼代用水の東西の分岐点に通船会所(つうせんかいしょ)が設けられ、荷揚げ場となりました。描かれる角柱に「埼玉県」と記されていることから、この絵図は明治4年11月以降に描かれたものと考えられる。