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江戸失火消防ノ景

梅沢晴峩1829

立花家史料館

立花家史料館
福岡県, 日本

江戸の大火と火消しの奮闘を描く、13メートルにも及ぶ長大な絵巻。詞書はない。同図様の火事絵巻は、藩主家にいくつも伝わっているが、本作は様々な大名火消しが比較的正確にあらわされており、資料性が高いだけでなく、生き生きと活写した群像表現や、動きのある画面展開などでも群を抜いた存在。落款に年記があり、晴峩が拙斎と号した若年期に描かれた。

江戸時代264年間に、大火だけでも874回あったといわれる江戸の火事は、何千、時には何万人もの人々が命を落とし、町の大部分が焦土と化すという凄まじい災害であった。幕府に命じられた火消活動や、被害の復旧にかかる経費は、大名家の財政を圧迫するものである一方で、戦のない平和な時代にあって、火事場での活躍こそが武門の見栄、という一面もあった。
『火事と喧嘩は江戸の花…』とうたわれたように、華麗な火事装束に身を包み、金銀の纏を立たせて火事場へ駆けつける大名火消一行を、多くの野次馬が見物したことが江戸時代の随筆にも書かれている。
柳川藩主・大名立花家は、自らの江戸屋敷周辺はもちろんのこと、幕府の浅草御蔵火之番役についていたことが残された文書に記録されている。残念ながら、当時の火消装束や纏などは残っていないが、柳川藩御用絵師、梅沢晴峩の描いたこの絵巻に、その勇姿を見ることができる。
この絵巻の最大の見せ場、火掛りの場面、炎と熱風と火の粉の中、白の花古文字紋の胸当に鼠色の革羽織、剣の纏を手に口を真一文字に結んで屋根の上に仁王立ちしているのは、立花家の纏持ち。その手前の屋根には、「いろは四十七組」で有名な町火消の、か組、ほ組、た組、わ組、を組が描かれており、両者の出で立ちを対比してみるのも興味深い。浅葱地に白く染め抜かれている裏銭紋の法被をまとっているのは立花家の中間。

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