山水、人物、花鳥など画題の異なる十二図の水墨画を貼るもので真体と行体で描く。各図とも余白を多く主題を大きく扱う構図で、高士図は等顔特有のいかり肩で猫背の人物表現が、樹木図では墨調の濃淡が強調されるなどの特徴が窺える。中でも「墨梅図」と「藻魚図」は等顔として珍しい図柄である。
雲谷等顔(1547-1618)は、肥前国能古見城主原直家の次男で、名を直治といい、狩野松栄あるいは永徳に絵を学んだといわれる。武家出身から画家の道にすすみ、毛利輝元(1595-1651)に仕え御用絵師となる。雪舟の「山水長巻」とその旧跡雲谷庵を与えられ、雲谷を名乗り雪舟直系を称して雪舟流を後世に伝えた。雪舟風を形式化した山水図や梁楷風の人物画など特徴的な作風を示し、画風は保守的印象を与えるが、狩野派や長谷川等伯、海北友松、曽我直庵らの漢画系の画人達が活躍した桃山画壇にあって雪舟の正系を標榜し確たる地位を築いた。