初夏の農家の庭先。「麦秋」という、秋と並ぶもうひとつの豊かな実りの季節を示す言葉どおりの、のどかな世界が広がつている。縦長の画面に斜めに配された、見下ろすような民家の配置の妙。庭先にたたずむ子どもの着物の青、広げられた筵の黄色など、墨の濃淡のなかに点灯されたわずかな色彩が効いている。ここに画家小林古径は、寡黙ななかに見事な調和の世界を現出させた。絵のなかの世界も、絵そのものも、そのままで自足しているかのようである。
近代の日本画はしばしば「中身がない」という批判にさらされた。古径の絵は、色と形を離れていったいどこに絵の中身があるのかと問いかけているようである。すべてが静かに響き合う調和の世界、それこそ現実世界では得ようにも得られない、絵画ならでばの世界ではないか。