空海は平安時代初期に中国密教の中心人物である恵果に学び、日本で真言宗の開祖となりました。『金剛般若経開題』は、唐の義浄の訳になる『能断金剛般若経』を、空海自身が密教的立場から解釈したもので、帰国後の弘仁4(813)年頃の書と推定されます。もとは巻子装でしたが、すでに江戸時代以前には何点かに切り離されています。それらのなかには加筆や訂正、抹消された部分もあることから、推敲中の草稿であったことがわかります。草体の書ではありますが、一字一字が離して書かれています。空海の書のなかでも、まろやかで円熟した草体の書法を見ることができる名品です。