戦前は木彫を中心に制作していた辻は、1949年に京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)の教授として京都に赴任して以降は抽象的な造形へと向い、さらに1955年頃からは抽象度の高い独自の陶彫作品を精力的に発表していった。陶土を焼くことで生まれる大胆な表現は、従来の彫刻とは異なる新しい造形理念を開拓しようとするものとして注目を浴びると同時に、陶芸の常識を越えたその技法と表現は、走泥社同人らをはじめとする前衛的な陶芸家たちにも大きな影響を与えたと言われる。本作は、中国唐代の伝説的な隠者「拾得」を描いた伝説的な図像に従い、箒を持った立像として造形されている。体の正面から内に向かって開けられた大小の窓は、観るものを隠者の心の内へと誘うようである。