坂本龍馬が土佐の姉乙女に出した手紙の一部に含まれる霧島山の絵とそれに続く部分である。慶応2年(1866)の正月、京都で薩長同盟の締結に尽力した龍馬だったが、1月24日の未明に伏見寺田屋において幕府役人の襲撃を受けて負傷した。なんとか逃げ延びた龍馬は薩摩藩の西郷隆盛らの勧めで傷養生のため鹿児島へと向かった。霧島山麓の温泉地でゆっくり保養したのち、3月の末には妻のお龍とともに標高1574mの高千穂峰(たかちほのみね)に登山したのだ。その様子を姉に絵入りで知らせたものである。山の絵には朱書で登山したルートが示され、どんな様子だったかが墨書で細かく記されている。山道があまりに険しいので「(お龍の)手をひいて登った」と記しているのが微笑ましい。さらに頂上では天逆鉾(あまのさかほこ)を見ている。この時の龍馬とお龍の鹿児島旅行が日本で初の新婚旅行であったとされる。登山図の続きには西郷隆盛の人柄に関する記述がある。京都国立博物館には多数の坂本龍馬関係資料が収蔵されており、重要文化財に指定されている。