儒家に生まれ、幼少より漢書に親しむ。狩野良信、山名貫義等に師事。さらに冷泉為恭への傾倒から、大和絵や中国の隋や唐時代の古画を研究。1916年〈金鈴社〉の結成に参加。東洋画の伝統精神をふまえた気品高い白描画風を確立した。
「羅浮僊女」とは中国・羅浮山に棲む梅花の精のことです。隋時代の人、趙師雄が羅浮山の梅林に遊び、美女に会って酒を酌み交わしました。酔いから醒めてみると梅の木の下にいて、美女は梅の精であったことに気づいたという故事によっています。霊華は狩野派や土佐派を学び、さらに冷泉為恭を手本にしながら、流麗な墨の線描による白描画を確立しました。この作品は、自作を発表することの少なかった霊華が1926年の帝展に出品し、絶賛された彼の代表作《離騒》の系譜を継ぐものです。衣と冠に金を、唇にわずかに朱を入れただけの白描画ですが、さわやかで崇高な気品がみなぎり、精神性の高い優れた作品です。1928年2月開催の尚美展覧会新春第一回展出品作です。