松本楓湖の安雅堂画塾に入門。同門の速水御舟と互いに研さんしあい、日本画の革新に大きな役割を果たす。今村紫紅の率いる〈赤曜会〉の結成に参加。1921年〈再興院展〉同人となる。清澄な詩情あふれる風景画の他、写実と装飾を融合させた新しい近代の日本画を追求した。
梅の香りが漂うなま暖かい春の夜に、獲物を襲った一匹の猫がしのび足で歩いています。そしてその姿を木の上のみみずくが、ぱっちりと眼を見開いて見つめています。絵の着想は鈴木春信の《夜の梅》(1760年代末頃)から、また猫のモチーフは室町時代の《鼠草子》を踏まえています。青樹をはじめ再興院展の画家たちは新しい日本画を確立するために、豊かな装飾性をもつ琳派の画風に着目しました。その研究の跡は構図や花の表現、そして梅の木の“たらしこみ”(絵具が乾かないうちに別の絵具をたらしこみ、にじみの効果をねらう技法)などに活かされています。1930年聖徳太子奉賛美術展に出品された後、翌年ドイツで開かれたベルリン日本画展覧会にも出品されており、青樹にとっても自信のあった作品です。