春の日差しを浴びて、芥子畑の中で昼寝をする白馬。天心の指導のもと、弧月は浪漫主義的な作品を完成させた。
西郷弧月は長野県松本の生まれ、名は規といった。維新後は東京に移住し、はじめ狩野友信に学び、明治22年(1889)、東京美術学校が開校すると、その第一期生となった。明治29年に研究科を終了すると同時に助教授に採用され、また、橋本雅邦の娘婿にもなり、将来を嘱望された。各地を遍歴しつつ日本美術院を中心に活躍したが、明治45年春、台湾に旅行して病を得、帰国後40歳で没した。《春暖》は明治30年秋の日本絵画協会第3回共進会に出品し、銅牌を与えられた作品。後の制作談によれば、初めは菜花の盛りの田圃の中に農馬が居眠りしているところを描くつもりであったが、技法上の問題を避けるため、芥子畑の中の裸馬にしたのだという。彼自身はこの変更を失敗であったと回想しているが、かえって、そのために単なる農村風景画をこえて、異国情緒をたたえた浪漫主義的な作品となった。空には薄く金泥を刷いて、春の穏やかな光を表現している。(執筆者:高瀬多聞 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)