平安時代のはじめに弘法大師空海らによって純粋密教が伝えられるとともに、数多くの密教尊もわが国に請来(しょうらい)された。なかでも不動明王は曼荼羅中の一尊としてのみならず、独尊像として、または五大明王像のなかの中尊としても大きな信仰を集めた。その姿は肥満した醜い童子形であるとされるが、空海が請来した不動明王の図像は、両目を見開いた比較的端正な姿をしている。
本像のように頭髪がうずまき、片目をすがめ、左右の口の端から牙が上下に出るすがたは、平安時代の中ごろより流布する、いわゆる「不動十九観」にもとづく造形で、醜いという容貌にかなう表現である。とはいえ、本像の繊細な作風は、醜さよりも穏やかさを感じさせ、まさに本像が製作された12世紀の仏像彫刻の一典型をしめすものといえる。
ただし、構造の点ではやや特異である。というのも、本像は左右で二材を寄せた寄木造だが、左肩から左脚を通る線で矧(は)ぎつけるので、左右では材の幅が大きく異なる。さらに、通常このような構造であれば台座と本体を別に作って、足の裏にもうけた枘(ほぞ)で台座に立たせるのが一般的だが、台座までを本体と同じ木から彫り出している点が珍しい。なお、截金(きりかね)は毛筋などの一部のみにもちいられるだけで、基本的には彩色(さいしき)で文様をあらわしている。