1909年、帰郷していたイタリアから戻り、再びパリの地を踏んだモディリアーニは、モ ンパルナスのシテ・ファルギエールにアトリエを移し、友人の医師アレクサンドルを通じ てルーマニア出身の彫刻家ブランクーシを紹介された。当時、ロダンに代表される表現主 義的な作品が主流をしめるなかで、ブランクーシの石による彫刻は、単純化された形態と 抑制の利いた表現を特徴とする極めて前衛的な作品であり、それは現代彫刻の源泉となった。
モディリアーニは、ブランクーシから石彫の技術を学び、当時の前衛芸術家たちに影響 を与えたアフリカ美術などに魅了されながら、細長く垂直に引き伸ばされた頭部像や、カ リアティード(ギリシャ神殿に見られる女人柱)を制作した。彼はカリアティードを神殿 のように並べることを夢見ていたらしく、そのための準備デッサンや習作が数多く残され ている。
1912年のサロン・ドートンヌには7点の彫刻作品を出品したが、戦争の勃発による材料 の不足や、石彫から生じる粉塵で肺を悪化させたこともあり、間もなく彫刻を断念せざる を得なくなった。しかしこの彫刻制作を通じて、彼は対象を単純で本質的な要素に還元す ることを学び、それはその後の絵画制作に大きな影響を与えている。
(出典: 『名古屋市美術館コレクション選』1998年、P. 19.)