菅原道真は、そのずば抜けた学才によって宇多天皇の信頼を得て右大臣にまでなった。
その破格の出世が反感をかい、醍醐天皇と左大臣、藤原時平らの策略により太宰府に左遷され、その二年後に無念の思いを残しつつ亡くなった。
道真の死後、京都では天変地異が続くようになり人々は道真の怨霊が雷神になったと噂し、その雷神は、遂に清涼殿の時平を襲った。
その後、朝廷は神社を建てて道真の霊を鎮め、天満天神の号をおくり太宰府天満宮、北野天満宮など学問の神様として庶民の信仰を集めるようになった。
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
道真の愛した梅が一夜にして京都から太宰府に飛んで来たと言う飛び梅伝説は有名である。