松本楓湖の安雅堂画塾に学ぶ。10代で〈紅児会〉、〈巽画会〉に出品し頭角を現す。1914年今村紫紅を中心に〈赤曜会〉を結成。17年〈再興院展〉同人となる。日本画の新しい可能性を模索して次々と新しい作風を開拓、当時の日本画壇をリードした。
御舟は30年に満たない画業の中で、幾度も作風を変えています。この作品は、同門の小茂田青樹らと日本画の革新を目ざして赤曜会を結成し、今村紫紅の影響を強く受けていた21歳の時の作品です。群青、緑青を主体に黄色をポイントとした色彩、夏のきらめく日射しを意識した点描風のタッチ、下から上へと奥行きをもたせる構図、人家や人物ののびやかな描写。こういった点に、琳派の装飾性と印象派の光の表現を巧みに取り入れた紫紅の自由で進取的な画風の影響が、色濃くうかがえます。しかし、画面には御舟本来のロマンチックな資質と若々しい感性がみなぎり、単なる追従に終わらない独自の世界をみせています。