黒田清輝(1866-1924)は、明治中期にフランスに渡り、アカデミックな写実に印象派の明るい色彩を加味した「外光派」の様式を日本に持ち帰りました。西洋の伝統的な描法によっていた洋画(旧派)と黒田らの画風(新派)との間で対立が起こりましたが、黒田は1896(明治29)年に新設された東京美術学校西洋画科の教官となるなど、明治後期洋画の主流を形成していきました。この作品は、寒い季節の中で穏やかな陽光に包まれた田舎の風景を題材とし、さりげない描写ながら、緑や青を主とした画面のほぼ中央に干された洗濯物の赤が効果的に映えています。