『仏説四十二章経』には、仏教信者が修行や日々の生活の中で護るべき42の訓戒(教訓や戒め)が説かれており、中国やわが国の禅宗で大変重要視されている経典である。
これは、末尾に「蘭谿」と「道隆」という朱の印が捺してあることやその筆跡が南宋時代の書家として名高い張即之(ちょうそくし)の影響を受けたものであることから、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が書写したものであることがわかる。
蘭渓道隆(1213~78)は、西蜀、今の四川省の生まれ。13歳の時、成都にある禅寺で出家し、その後、江南の禅寺を歴訪し、寛元4年(淳祐6年、1246)に弟子らとともにわが国に渡り、鎌倉幕府の執権であった北条時頼(1227~63)の帰依を受けて鎌倉・建長寺の開祖となり、鎌倉地方の禅宗の基礎を築いた人物である。弘安元年(1278)7月24日に亡くなり、その直後に亀山上皇から「大覚禅師」という諡号を受けた。
もとは半面6行(1折12行)の折本であった。