かつて、中国浙江省(せっこうしょう)の天目山(てんもくざん)にある仏寺で、鉄分を多く含む黒釉がかけられた碗が喫茶に常用されていたことから、日本では黒釉が施された喫茶碗のことを天目、あるいは天目茶碗と呼んでいる。また、玳玻とはウミガメの一種である玳瑁(たいまい)の甲羅(こうら)、即ち鼈甲(べっこう)のことであり、黒釉を塗った上に植物灰を主原料とする灰釉を二重がけすると、鼈甲に似た色に焼き上がるため、その釉薬の色調にちなんで、天目茶碗の中でも特にこの種のものを玳玻盞(たいひさん)・玳玻天目(たいひてんもく)と呼ぶ。釉薬を二重がけする手法は、宋~元時代の吉州窯(きっしゅうよう)(中国江西省)製品に特徴的な施釉技法で、本例は日宋・日元貿易を通して日本へ輸入されたものと目される。見込みには、尾長鳥と梅の折枝の文様が表わされているが、これは釉薬を重ねがけする際に、型紙を置くなどして灰釉がかからないように工夫し、地薬の黒い色を文様の形に浮かび上がらせたもの。
加賀前田家の旧蔵品として、近代数寄者の高橋箒庵(たかはしそうあん)(1861~1937)が著した名物茶器の実見録『大正名器鑑(たいしょうめいきかん)』にも収録された名碗で、外箱の墨書文字「たいひさむ」は、江戸時代初期の茶匠として著名な金森宗和(かなもりそうわ)(1584~1656年)の手によるものと伝えられる。